和歌山県赤十字特別救護隊 30周年記念誌より

体験記録 阪神・淡路大地震救護活動(平成7年1月17日〜)   有田分隊 記

◆悲壮であり貴重なる三日間

 平成7年が明けてまださめやらぬ1月17日午前5時46分。激しく長い地震に目を覚ました。あわてて飛び起き、揺れが静まるのを待ってからテレビのスイッチを入れた。しかし映像はこれまでの地震速報程度でしか情報がなく、いつもどおりに朝刊に目を通していた。数回の余震の中、午前8時頃までの民放テレビでは、阪神地区が震源に近く、高速道路の高架が一部落下したらしい程度の情報しか流れていなかった。しかし時間を追うごとに兵庫県南部地震による戦後最大の悲惨な災害が徐々に明らかになっていったのである。

 これまでのマスメディアには、国内で起きたことはブラウン管を通じて即時に全国へ情報が流されるものという概念があった。しかし予想だにもしない大規模な災害にはその概念も、また日本の高速道路、建築物等の絶対なる耐震安全神話を、震度7という怪物がいとも簡単に押し潰し、計り知れない悲しみと損害を引き起こした。

 このような中、私達有田分隊が災害救援活動に出動したのは3日後の1月20日であった。
緊急自動車4台でサイレンを鳴らしながら和歌山を後にした。大阪市内までは順調に進んだが、道路のうねりが気になりだした頃、通行止めになった高速道路を降り、車で溢れかえった一般道を、サイレンの音でそれそこ押しのけかき分け神戸を目指した。

 日本人のマナーも地に落ちたといわれて久しい昨今であるが、全く前に進めない道路状況にありながらも全ての車が数センチづつでも協力して緊急自動車の通れるスペースを提供してくれたこと、まだまだ日本人も捨てたものじゃないと見直したものである。

 尼崎、西宮、芦屋と神戸に近づくにつれ、被災状況がブラウン管とは比べようもなくひどくなっていき、あのペシャンコになった家の下には助けを求める人がいるんじゃないか、今すぐ車を飛び降りて助けなければ命がなくなる。などという念に駆られ、そうできない自分に苛立ちを覚え、あまりの悲惨な光景から目に熱い物がこみ上げてきたのを思い出す。

 神戸市に到着後、日赤兵庫県支部の命を受け、目的地である最も被害の大きかった長田区駒ヶ林公園に到着。臨時救護所での医療活動のバックアップ、救援物資の配布、患者、医薬品の搬送等を終え、明日は別の場所に救護所を移動することで、テント等の大量の資機材を撤収し兵庫県支部に戻った。

 その後すぐ、神戸赤十字病院において1回から3階まで階段を使って数十名の患者をタンカ搬送し、息つく暇もなく救援物資を肩へ担いで保管庫がわりの地下駐車場への運搬等々を終え、疲労困憊の中、コンクリートの上で吸い込まれるように眠りに就いたのは日付が変わった深夜、これまで体験したことの無い長い一日が終わった。

 翌21日早朝、昨夜まで別の場所の予定だった臨時救護所開設が、不可解にもまた不合理にも昨日の駒ヶ林公園に決定し、ネジを巻き戻すかのように出動、救護所の設営をし同様の救護活動を翌22日まで続けて送ることとなった。

 そんな中において感じたこと。まず、合間を見つけて近隣の避難所を巡回したときのことである。救援食料を配っている老人は、これまで長い人生を送ってきた中で気づかなかった人間の汚さを見せつけられたと話す。全ての人ではないが、家に被害の少なかった人が必要以上に物資を受け取り、家をなくして本当に必要とする人には行き渡らない、ということである。しかし老人はそれにもめげず「ありがとう」の言葉を頼りに、声を枯らして一生懸命物資を配布していた。

 また、公園でブルーシートのテントで避難生活を送っている人には外国人が多いことである。聞けば、近くの避難所に入れてもらえない、との片言の日本語がかえってきた。ここにも人権尊重が叫ばれている現在、世の中の矛盾・問題点が浮き彫りに映し出されていた気がする。

 もう一つ、災害発生時の政府、自治体の初期救援活動、連絡体制等についての批判はマスコミや評論家、机上の人に譲るとして、我が日赤和歌山県支部に関してはどこよりも早く出動し、出来る限りの支援活動が行えたということは評価されるものであろう。

 しかし本活動の中にも、平素の災害訓練の経験が十分に生かされなかった部分もあったかと思うが、訓練内容そのものが、現実の災害の前では想定が甘く不十分であったのか、参加者の気構えに訓練は訓練というような、真剣に取り組む姿勢、認識が希薄だったのか、いずれにしても連絡・命令体制系統に一貫性がなく、効率よく持てる力を発揮できなかったことがあった事実も否めず、今後の訓練等の内容を考える上での反省材料としてではあるが、個人としても少し悔いが残る思いである。

 最後に、救援ボランティア活動について自分なりの課題として下記に揚げる。

*被災者は何をして欲しいのか、要望を知る。

*まず自分は何をすべきか、何ができるかを考える。

*自分の力を過信しない。

*善意を無理強いしない。

*救援物資は自分が欲しくない、使えないものはダメ。

*ボランティアは誰かにしてあげるのではなく、お互い様の気持ちが必要。

◆今の若い人たちは社会に関心がないし無気力といわれているが、今回の震災において、若い人はどんな人でもすごいパワーを持っていた。

◆リーダーの役目・・・・厳しい状況下、過去にボランティア経験の無い人に効率的に動いてもらうためには、リーダーが必要になってくる。またそのリーダーは他の組織と連携を持ちながら、自分自身がその度に動くのでなく、他の人に動いてもらうようにする。しかし管理については最低限の範囲にとどめ、自主性にまかせる。